歴史

如是本尊在世五十余年無之八年之間但限八品(観心本尊鈔)

第一世期

戦後復興期、人心困苦の昭和25年 立正寺の前進「立正題目教会」は當池 山内一豊氏(戦国大名) 江戸下屋敷跡地を購入、茨城県下館市より本院を移転し、開基 白蓮院日定上人ににより創建されました。

第二世期

時あたかも国家的大事業(昭和39年)東京オリンピック開催に向け建設ラッシュの中、首都高速道路開通に伴い當教会昭和本堂は解体。敷地の一部は供出されました。信徒の離散、法人の弱体化中、第二世長壽院日龍上人は日々街中を太鼓を打ち鳴らしお題目唱導下種行に励まれました。やがて本化地涌の菩薩衆の出現を見、平成5年には多くの信徒のカを結集し、寺号を「立正寺」と改めました。日龍上人の不惜身命の下種行がみごと花開いたのです。 日龍上人は、先代上人の遺命でもあった本堂再建に向け、日々信徒と共に精進を重ねましたが、平成 13年4月、突如として化を霊山(りょうぜん)に移されました。

第三世期

第三世 某、先代、先々代上人の遺命を呈し、新生立正寺具現を発願。
維持(これとき) 平成16年 正月。
目指すは平成18年 秋建立。
迎えるは、平成19年4月 當山第二世 長壽院
日龍上人第七回忌 御報恩供養に擬し奉る。

冀(こいねがわく)は、宗祖日蓮大聖人 開基日定上人 開山日龍上人法華経に身をまかせ、忍難弘通 艱難辛苦(かんなんしんく)のご生涯に・・・大慈大悲大恩御報恩謝徳 合 掌